24番最御崎寺。高知県最後のお寺です。純打ちならここから高知県が始まるんですけどね。逆打ちなので室戸で最後になります。高知のお寺は数が少ない分一つ一つが離れていたので歩きお遍路だとかなり大変だと思います。後ほど紹介しますがこの地は「教海」から「空海」と名前を改めた土地だとされています。室戸岬で東西に対峙している26番金剛頂寺が西寺、最御崎寺が東寺とも呼ばれています。

岩見重太郎の塚がありました。どうやら豊臣秀吉に使えたことのある人物で調べてみるとなかなかのお侍さんだったみたいですね。

室戸岬灯台のレンズは日本に5台しかない日本最大級のフレネル式レンズだそうです。めちゃくちゃ大きかったです。他の灯台のレンズをよくみたことがなくても大きいと思うほどのサイズでした。

室戸岬は奇岩が多くあります。海岸沿を歩くだけでもたくさんの撮影スポットがありました。戦隊モノの撮影とかしてそうですね。

アコウの木がジブリかと思うほどの迫力でした。これも同じ海岸沿にあります。この生命力は圧巻でした。

最初に触れましたが、ここが空海と名を改めるきっかけになった洞窟、御厨人窟です。この洞窟で修行中の空海の目には空と海しか見えなかったことから空海と名を改めたそうですね。諸説ありますが。以前までは入れたそうですが今は封鎖されています。入り口で御厨人窟の御朱印とお姿ももらえます。

洞窟を背にして写真を撮りました。昔は道路もなかったでしょうから、撮影場所より少し上にある洞窟から見れば本当に海と空だけが見えそうですね。空海が出家をするときに、反対する親族に向けて出家宣言として書いた「聾瞽指帰」(ろうこしいき)というのがあるのですが、その一説に室戸での出来事が書いています。「土州室戸崎に勤念す 谷響きを惜しまず 明星来影す 心に感ずるときは明星口に入り 虚空蔵光明照らし来たりて 菩薩の威を顕し 仏法の無二を現す」空海は星とも縁がありますね。空海の厄年の御祓に星が森に行ったことを思い出します。室戸では流れ星が口に入るというなんともファンタジー溢れるお話ですが、24歳でこの書を書いているので僕はなかなかのロマンチストだと思ってます。素敵ですね。この空海の直筆とされる聾瞽指帰は高野山の金剛峯寺に国宝として今も納められています。

近くに水族館があったのできてみました。話には聞いていたのですが廃校になった学校を利用している少し変わった水族館です。

階段懐かしいですね。この手すりを滑り台にして遊んだのを思い出しました。

掲示板も懐かしいです。押しピンを投げて刺す練習をかなりやりました。金色の頭が平たいやつじゃないと難しいですよね。

手洗い場が触れ合いコーナーになってました。小学生もたくさんいて自分の行っている学校との違いを楽しんでいる様子でした。僕は校舎が懐かしくて現役小学生たちとは楽しみ方も見え方も違っていて、想像するとそれも面白かったですね。

いまだに思うのがこの机の高さと椅子の高さとサイズって、一番寝やすいバランスを追求していると勝手に僕は思っています。座ってみて確信しました(笑)。今でも秒で寝れます(笑)。

斬新なアイディアですね。跳び箱として使われてしまった日には魚がストレスでやられそうですけど(笑)。

大群で泳ぐ姿が癖になってしばらく眺めていました。よくみるとお洒落なデザインしてるんですよね。

鬼カサゴのひれ。毒ある生物ってなんでこんなにきれいなんでしょうか。

このうつぼたちがポージングしているみたいに動かなくて面白かったです。下の小さく顔出しているやつの体の模様が変わってて初めて見ました。

理科室は海洋生物の骨が保管されてました。

クラス替えしてるみたいです(笑)。

実はこの水族館、ただの水族館ではなくて研究や調査もやっているそうです。

いろんな生物のホルマリン漬けや内臓など研究物も展示されてました。これが面白かったです。普通の水族館じゃなかなか見れないものが見れました。

黄色の傘懐かしいー。傘回しすぎて持ち手が折れるんですよね(笑)。

プールにはサメがいます。まあまあなサイズのサメがいます。隣の低学年用プールには海亀がいました。学校自体がそんなに大きくないので全部みるのにそんなに時間かかりませんがギュッと濃い水族館でした。懐かしい気分で魚が見えるというのが新しい感覚でした。

奇岩があったので少し散歩。石畳の歩道が外国のようでした。かっこいい。ドラゴンとか敵が出てきそうなところですね。

僕の故郷徳島県に入りました。次のお寺に行くまでに好きな大福やさんがあるのでよりました。

ここのあんこがあっさりしてて食べやすくてあっという間になくなるんですよね。さばせ大福で検索して近くに行った際には是非買ってみてください。

23番薬王寺。徳島一つ目ですが、時間がギリギリなので下の納経所で先に御朱印いただきました。徳島人なら誰でもが知っている、南に走ると必ず目に入るド派手なお寺です。何度も見てますが登るのは今回が初めてでした。

ひたすら階段を登ります。

瓦の修繕がされてました。宮大工さんや瓦職人さんが減ってきているのに修繕しないといけないお寺が全国にはたくさんあるので、この技術が失われないように後世にどうにか受け継いでいっていただきたいですね。職人さんが減るということはお寺や神社などの古い建物が近代的にしか修繕できなくなってしまうので、昔のまま残り続けるのが難しくなって、古い建物が見られなくなってしまいます。こういうのを伝えるのに何か携わりたいです。

階段を上がると雰囲気があります。726年に行基が創建したとされている歴史あるお寺です。その後空海が薬師如来を彫って再興したとされています。

昔ながらの電飾ってかっこいいですよね。こういう装飾だけでもずっと見てられます。

道路を走っていると目立つ塔がこの上にあります。真っ赤なんですごくわかりやすいですよ。下からみるより離れてみた方がきれいですね。デカすぎて見ずらいのもあるかもしれませんが。

上からの景色はきれいです。向かいの山にはお城があります。

アップしたら画質悪いですが、日和佐城が見えますよ。昔南部進出を図る土佐の長曽我部勢から守るために建てたそうです。

いよいよ徳島、逆打ち最後の県になりました。残り4分の1。88箇所巡りが終われば残すとこ高野山のみになります。ひとまずまわり終わったら日本一周続けますので、高野山に行くのは来年になると思います。それまでは各都道府県から何かしらお届けいたします。今日はここまで。ありがとうございました。