今日は台風が来るので週明けまでまわれないかなと思い沢山まわったのと、どっと疲れるくらい濃いお寺があったので二回に分けます。一つの寺だけ異色すぎてツッコミ所が多かったのと八十八箇所の由来としてお伝えしたい物語がありまして。重要文化財の量も多いしいろんな意味で凄いお寺でした。

53番圓明寺。住宅街の中にひっそりとあるお寺。門が二つあって、最初のと門をくぐると大師堂があり写真の門をくぐると本堂があります。

ここの鐘が低いところにあったので気づいたのですが奉納に携わった方々の名前が刻まれてるんですね。知らなかったです。小さな鐘にも沢山の昔の人が関わっていたとわかるだけでも心温まりました。

ここには隠れキリシタン灯ろうというものがあります。お寺に珍しいですね。マリアさまが合掌しているのが彫られているそうです。布でちゃんとみえませんでしたが(笑)。形を見るとギリギリ十字架の形をしているのがいかにも隠れ感がありますね。圓明寺も弘法大師さまも隠れキリシタンが参拝するのを黙認して見守ってきたのだそうです。なんだか地元愛のあるようなほっこりするお寺でした。

52番太山寺。鎌倉時代に建てられた本堂は国宝に認定されてます。とにかくでかい。重厚感あります。瓦何枚いるのってくらい屋根も大きくて写真じゃなかなか伝わらないですね。これが鎌倉時代から残っているというのがすごいです。日本の建築は素晴らしいですね。

大師堂前に石積んでました。この台の石が雲みたいで重さを感じない形してて不思議でした。ここのお寺には石を積むところが他にもあって、お経の一文字を書いて乗せてお願い事をするそうです。お願い事しなかったですがもし書くとしたらぼくは「咒」て書きます。4つの「咒」を越えて行けるように願いを込めて。「咒」というのは般若心経の中で出てくるのですが今勉強中なのでまたこれについては書きたいと思います。般若心経に物語があることを知らなくて勉強しているととても面白いです。この「咒」をモチーフにした作品を昨日作ってみたので近々ポートフォリオの方にアップしますね。

51番石手寺。みなさまここです。ここのお寺情報量が多すぎです(笑)。めちゃくちゃ広いお寺で、善通寺のようにだだっ広い感じではなくて、沢山道があって迷路みたいで迷います。ネットで検索してもらえると沢山の重要文化財について情報がありますのでここでは触れないでおきます。宝物館があって行ってみてきましたがものすごい数でした。

JAPAN GEOGRAPHICさんのページからお借りしてます

この数みてください。これ頑張って大体回りました。地図持ってなかったんで道があれば進んで建物あれば挨拶してって感じでめちゃくちゃ迷いながらですがかなり歩きました。全部は書けないですがそれでもかなりの量になりますのでお付き合いください(笑)。

まずここの道を通って本堂の方へ向かいます。売店があったり焼き餅売ってたりいい雰囲気です。駐車場のおじちゃんも愛想のいい方でした。通りには黒猫ばかりが寝てます。きっと家族なんでしょうね。

こちらの仁王門は国宝です。いきなりすごいでしょ。この建築がなんとも素晴らしい技術らしいですね。この仁王門をくぐると広場にでます。正面が本堂、左に阿弥陀堂、右には三重塔がありそれぞれ奥まで道が続いてます。くぐったときは凄いいい雰囲気なんですよ。

左側の阿弥陀堂なんですが、地面みてください。1枚目の本堂の写真見てもらってもわかると思いますが地面の砂で模様を作ってるんですよ。本堂の階段下を中心として真ん中左右に円が書かれていて、この写真のように石像の周りも円が書かれてるんですね。すごい手入れしてるなと思ってなるべく崩さないように歩こうと慎重に移動しました。参拝のルール的にはまず本堂に行ってから他をまわるのですが、他の参拝者との接触を避けるためにそのルールは無視して回っています。で、まずこの阿弥陀堂まで歩いていって挨拶しました。中の写真は撮らなかったのですが、、、

阿弥陀さまの隣にスヌーピーやキティーちゃんが祀られてました(笑)。阿弥陀さまも少し傾いてます(笑)。ここでこのお寺の個性に気づき始めます(笑)。ここの阿弥陀堂はボケ防止にいいそうですよ。

阿弥陀堂脇の道を奥に進むと建物がありました。変わった形の建物ですね。この道も雰囲気あっていいです。右にも建物がありますね。奥には仏像やお地蔵さんがずらっと並んでます。まずはこの変わった建物へ。

象がいますね(笑)。ダンボールも沢山あります。何が入ってたんでしょうかね(笑)。上のカラフルな彫刻といい象さんといいこのお寺はどこを目指してるのかなと思いながら仏像が立ち並ぶ方へ進みました。

、、、誰(笑)。名前も書いてないし髪の毛と布だけ黄色に塗られてるしヨガみたいなポーズしてるしなんとも言えない表情してるし(笑)。明らかにアジア人ではないですね笑もうここでぼくは確信しました。このお寺、テーマパーク目指してたなと(笑)やりっぱなしのものも多くていろいろ試してたんじゃないでしょうか。言ってもここは国宝から重要文化財までかなりの数がある歴史あるお寺です。道後温泉からすぐのところにあって観光客にも地元の方やお坊さんにも厚い信仰のあるお寺なんです。

山際にあるお寺なのでこんな感じで崖の上にも立ってます。この近くにビルマ戦没者のためのパゴダも立っていました。この建物は文字が読めなかったので何を祀っているかわからないまま挨拶しました(笑)。建物の裏に不動明王さまの仏像があったのでそこも忘れずに挨拶しました。

枝や枯葉で埋もれている石階段を登るとこういった感じで所々あります。クモの巣たくさんで少し遠くから挨拶、ここも何かわからなかったです(笑)。こういう時は地図が必要ですね。全部書いていると日が暮れるので、1番パワーを使ったマントラ洞窟へ。

ここなんですが、洞窟の入り口にある看板で今写真を撮っているのは左下の矢印です。入ってまっすぐ進み洞窟を抜けると奥の院に行きます。そこから引き返してきて、左に曲がり出口に向かいます。

入り口からすごく冷たい空気が出てきます。人1人通るのがやっとの幅で入るとすぐ厳つい顔の木彫りが立っててその脇を通って奥に進みます。

写真だと明るく見えますがかなり暗いです。次のライトまでの間なんて真っ暗で何も見えません。携帯のライト使って真ん中にランダムな方向に配置されてる銅像を蹴らないように進みます。両脇の壁にも穴があってそこに仏像があったりするのですが、暗くて見えなくて、携帯のライトで進んでるといきなり影になってうつるので毎回びっくりさせられます。台の上に乗ってない銅像とかもあってゆっくり歩かないといけないです。そして気温が低いです。なんなら少し肌寒いくらいでかなり雰囲気でてます。二つ目のライトくらいまで歩いて、「なんかここやばいぞ」ってなって引き返してきたんですが、やっぱり気になって頑張っていくことにしました(笑)。途中二箇所少しだけ広いところがありそこには自分と同じくらいの高さの仏像があって、壁際にもそれを囲むように仏像があります。ここの洞窟は振り返っちゃいけない気がしてしまいます。遠くの方に出口の光が漏れていてそこに近づくごとに気温が上がってきました。地面は濡れてるしたまに虫が羽ばたくしでビクビクでした(笑)。ぼくはわりとどこでも平気な方なんですけどこんなところ始めてです(笑)。閉所恐怖の方と霊感強い人はいけないかもしれないですね。

抜けると車道にでます。車道から見るとこうなっていてここに洞窟があるかわからないようになってました。車で走ってたらなんかあるなとしか思わないですね。ここのお寺は大通り沿いにあるのですがその反対(というより山側)にでてきます。なんと言っても抜けるのに160メートルもありますからね。

出ると向かいに奥の院入り口があります。この車道挟んで左側にも建物とか銅像が散乱されてます(笑)。いわゆるやりっぱなし状態で放置されてます(笑)。この奥の院入り口入っても道は草や木が伸び放題でクモの巣を避けながら屈んだり跨いだりしながら進んでいきます。もはや山道ですね(笑)。多分人来てないのと整備されてないので生い茂り放題でした。

奥に進むと変わった建物があって周りに木彫りの象が沢山並んでます。もう完全にテーマパークです(笑)。確信しました(笑)。

ここにある仏像の個性がとにかく強かったです。左側の仏像は進撃の巨人みたいです。肉がなくて骨が浮き出ていて、お腹には目が開いてました(笑)。もう主張強すぎです。個人的にはデザインがすごく細かくて世界観あって(というか強くて)この彫刻家の方を尊敬しましたがお寺全体としてかなり個性的で頭の中こんがらがりました(笑)。他にもいろいろありましたが悪路と疲れもあって引き返すことにしました。まだこの時点でで本堂にもお参りできてなかったので(笑)。

地図通り戻ってきて、入った入り口の手前を左側に曲がって進みました。ここの道は人1人分しかなく右側には暗くて見え辛かったですが絵がずらっとあって左側には八十八箇所霊場の仏像がひたすら並んでます。途中だ弘法大師さまらしき大きな仏像がありました。とにかくこの道はライトがなくて真っ暗で、奥が突き当たりなので、外からの光も一切なかったのでライトないと進めないです。突き当たりに仏像があってその配置の仕方も独特でした。まず檻に入れられてます(笑)。真ん中に大きなのが一つあってその周りに小さいのが無数に並んでて、空中にも沢山つるされていてすごい雰囲気でした。弘法大師さまの修行の場所だったみたいですが檻に入ってるなんて(笑)。もうカオス過ぎます(笑)。お賽銭してお礼を行ってから出口へ向かいました。真っ暗のめちゃくちゃ狭い洞窟なんて本当に初めてでした。何度も言いますがここは雰囲気かなりやばめの洞窟なので気持ちの強い方は是非行ってみてください。

出口はこんな感じで大師堂の裏にでてきます。出口正面で弘法大師さまの像が出迎えてくれます。マントラ洞窟もはやお化け屋敷ですがテーマパークのレベルをはるかに超えた本物の雰囲気でした(笑)。

ちなみにここの大師堂は落書き堂と言われていて、正岡子規や夏目漱石の落書きがあったそうで第二次戦時中に塗り直されてしまって今はないのですが、今は参拝者の落書きがしてあります。

やっと本堂と大師堂にお参りをして宝物館の方へ道に迷っているとここにもありました。こちらの仏像の顔の目は閉じていました。そしてこの仏像の隣にこちら。

また洞窟です(笑)。もうここまできたら入るしかないですね。もうここは完璧に後から作ったテーマパーク感満載でやばい雰囲気は一切無しでした。写メやライトの使用不可って書いてあったので写真撮ってないですがここめちゃくちゃ狭くてぼくは小柄な方ですが、両肩当たるし頭はうつしで屈みながら進みました。電気全くなくて何も見えないのでライトつけました。そしたら足元にライトらしきものがあって、おそらく普段は薄暗いライトがついてたんでしょうが、ついてないのでライト使わせてもらいました。階段を登ったり降ったりして迷路みたいでした。唯一電気ついてたのが、中で一つの道だけ行き止まりがあってそこに仏像があり青いライトでライトアップされてました。その仏像が20センチほどでなぜか壁のほう向いていてさっと置いた感が否めませんでした(笑)。出口手前に不動明王さまがいて出ると座禅の部屋が何部屋かあって新しい建物でした。

そこを抜けるとスピーカーでひたすらお経が流れているこちらのコーナーへ(笑)。もうここに来る頃にはヘトヘトです(笑)。戻る道がわかりにくくて迷いましたがなんとか戻ってやっと納経所へ。

ご朱印を頂いている間に住職とお話しました。「PayPayを導入してみたんやけどお客さんくるかなぁ」とPayPayについての話を10分くらいして納得しました。「この明るくて枠にとらわれない住職さんがいるお寺なら納得だ」と思いました。住職のお人柄も好きになりましたし思い出深いお寺になりました(笑)。みなさんも松山に来た際には一度、このミシュランガイド一つ星認定の迷スポットに来てみてはいかがでしょうか。

最後に、伝説のお話。この伝説が八十八箇所巡りの始まりだと言われてます。天長年間、約824年から834年の頃に伊予国を治めていた河野家の一族に豪族で衛門三郎という人がいました。この人がなかなかのイケイケオラオラ系男子で欲深く、権力を振り回して人望の薄い人物でした。この三郎の家の門前にみすぼらしい格好の僧がやってきて托鉢しようとしまた。托鉢というのは、手に小さな鉢を持って小銭や食べ物を乞うことですね。乞食とはこのことからきてます。ちなみに「こつじき」という読み方から「こじき」になりました。お坊さんにお経を読んでもらう代わりにお代をお渡しします。よく道端でお経を読んでる人がもってる鉢、あれです。乞食といえば僧のこの行為のことを言っていたのですが、もらうだけのイメージが先行して今の乞食という使われ方になったみたいです。

話を戻します。僧が何度も来るたびに家来に言って追い払わせていた三郎ですが、8日間来続けた僧にいよいよ腹を立てて僧の持っていた鉢を竹のほうきで叩き落としました。そしたら鉢は8つに割れてしまってそれ以来僧が来ることはなくなったんですが、なんとその僧が弘法大師だったんですね。三郎やっちゃった感じです(笑)。三郎には8人の子供がいたのですが毎年1人ずつ亡くなっていくと言う恐ろしいことが起きます。8年目にとうとう全員亡くなってしまって、絶望真っ只中だった三郎の枕元に弘法大師が現れ、その時三郎はあの僧が弘法大師だったことに初めて気づきます。自分の無礼をしでかしてしまった相手が大師だったことを知り、恐ろしいことをしてしまったと後悔します。

三郎は大いに反省し、懺悔の気持ちから田畑や家財を家人に分け与え、「お大師様に会って罪を許してもらうまでは帰りません」と妻とも別れ八十八箇所巡礼にまわりました。しかし20回まわっても大師に出会えずここで三郎、ヒラメキます。「逆にまわったら会えるんじゃね?」、、、すみません現代風にふざけてしまいました(笑)。ということで、三郎は逆に回ることにしました。この三郎が逆回りをした年が閏年だったため今の逆打ち(反対周り、今ぼくがやっているまわり方で今年がちょうど閏年)になったとされています。ご利益が3倍らしく、なんだ3なんだろうと思っていたのですがきっと三郎の3だったんですね。

逆回りをするも大師には会えず、巡礼途中で徳島の焼山寺近くの杖杉庵で病にかかり倒れました。死ぬ間際やっと弘法大師に会うことができ、今までの無礼を泣いてお詫びしました。弘法大師が三郎の最後に望みはあるかと問うたところ、「来世はまた河野家に生まれて変わって今度は人の役に立ちたい」と三郎は弘法大師に託して息をひきとったそうです。天長8年10月のことみたいで、この数字は108の煩悩から来てるんじゃないかなとぼくは思っていて仏教にまつわる伝説だなと感じますね。

弘法大師は小石に「衞門三郎再来」と書き左手に握らせ、三郎の持っていた金剛杖をお墓の上に逆に立てて供養しました。この後、杖から芽がでて立派で大きな杉が育ちました。今でも杖杉庵に二代目の杉が生えてるみたいです。これは見に行きたいです。弘法大師はその後三郎のお位牌を文殊院に持ってきて子供たちのお位牌と共に本堂で悪い先祖との縁を断ち切るための因縁切りの法を行いました。

翌年に伊予国の領主、河野息利の長男が誕生しましたがその子の左手が開きません。3歳になりその子が文殊院に向かって手を合わせ南無大師遍照金剛と三度唱えたところ左手が開き「衞門三郎再来」と書かれた石が落ちました。その石を安養寺に納め、それ以来石手寺と改名したのだそうです。その石は寺宝として今も石手寺に残っています。

ちなみに「南無大師遍照金剛」とは弘法大師、空海のことを指します。南無はサンスクリット語源の「ナモ」、敬意をあらす言葉からきてます。大師は大いなる師のことで弘法大師のことですね。遍照はあたりのものすべてを隅々まで照らすことを言います。金剛とは金剛石の固さのことで、仏さまのように砕けることもない智慧のことをいうみたいです。この意味については諸説あってどれが本当なのかわかりませんが(すみません勉強不足です笑)、だいたいみんな同じ意味なのが弘法大師さまに帰依して、心の在りどころとして生きていくということみたいですね。

以上が衞門三郎の伝説で八十八ヶ所巡りする上ではとても大事なお話でした。巡礼するにあたって、各お寺にこういったお札を日付と住所、名前と願い事を書いて入れていきます。ぼくは願い事特にないのでお礼だけ書いていれてます。このお札ですが、衞門三郎が自分がまわっていることを弘法大師に伝えるために日付名前住所を書いてお寺に貼ってまわっていたのが始まりだそうです。この人無くしては霊場巡りは生まれなかったかもしれませんね。

今日はかなり長くなりましたがこれで半分(笑)。濃い1日になりました。ではまた次回。ありがとうございました。